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自己紹介

こんにちは。地域包括支援センター働いている「たっつん」と申します。いつの間にか福祉の世界に身を置いてもう10数年。

福祉のことは何もしらずに飛び込みました。

名前 たっつん(由来は父親の干支から)
性別 男性
趣味 ブログ2年生 ランニング20年生
資格 主任介護支援専門員、社会福祉士

現在は、地域包括支援センターの管理者で働いています

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私のしがない人生

営業職での挫折・・・その後、福祉の世界へ


5流大学卒業後。就職氷河期世代の私は、何とか就職先を決めることができ研究機器の営業という仕事をしていました。凄くマイナーな業界です。ビーカーやフラスコなども売っていたと思っていただければ結構です。

その頃の自分は

いかに仕事に時間を取られないで、人生の楽しみを見つけていくか!

みたいなことを考えていたと思います。

仕事で失敗をしても「仕事の自分は本当の自分ではない!俺はプライベートでこそ本当の自分の実力を発揮するんだ!!」なんてことを言い聞かせてました。

もちろん、そんな考えで仕事がうまくいくはずがありません。次第に、お客さんや取引先の営業マンにわかってしまいます。こいつはやる気ないな・・・ということが。

仕事中は外で昼寝をするありさま・・・

当然、営業の売り上げも全然上がらず、上司からは怒られる日々。ますますやる気がなくなり、昼間は営業車を公園駐車場に停めて寝てました。

そして2~3件適当に営業周りを行って、夕方に営業所に帰り、嘘の営業日報を作り、退社する。そんなクソな給料泥棒サラリーマンでした。

元気のない日々を送ることに・・・

それでも、完全に開き直ることが出来ず、社会に出ても何も結果を残せないダメやつと自分を責め始めうつ病っぽくなりました。

月曜日が死ぬほどつらく、サザエさんがを見ると、涙を流していたり、戦争でも起きて全部ぶっ壊れないかな。なんて考えていました。

私という人間は仕事とプライベートの自分を切り離して生活するなんて無理で、仕事を一生懸命やり、認められないと普段の日常生活も楽しくない人間なんだと分かりました。

周りの人に迷惑をかけながら、いつもいつも辞めたいと思っていた会社を何とか3年間続け、退職しました。

福祉の知識全くなし!未経験で老人ホームの相談員

ただただ、仕事を辞めたいと思って3年間働いてきた私は、次にやりたい仕事もなく半年間ぶらぶらとバイトや派遣社員といった身分で約半年間、仕事をしていました。

当時の私は、新聞の折り込み広告で未経験歓迎という文字に惹かれ、有料老人ホームの事務員に応募しました。

そして26歳の時、新規にオープンする60人規模の有料老人ホーム相談員として働きだしたのです。

給料は確かに安かったです。しかし以前の営業職ほど売り上げを求められないのでプレシャーが少なく働くことが出来ました。

パソコンが少しできたのと、営業職で培ったコミュニケーション能力で、何かと頼られる存在になりました。

私が社会人になってから、初めての成功体験でした。

その後、1年で施設長が移動になり何故か自分が施設長に(この時は資格も何もない素人)。施設長になると、給料も多少上がり、自分に自信を持つことができました。

おまけに、1年で有料老人ホームの施設長になり、まだ20代で若かったので、たいしたことでもないのに調子に乗ってしまいました。

女性職員に声をかけて口説きました。感情に任せて年上の職員でも怒りました。

正直イキってました。

そんなことをしていたら陰で悪口を言われ、嫌われるのも当然。だんだんと職場での居心地が悪くなってきました。

そんな中、ケアに対しての志があった訳でなく、ただ単に居心地の悪い職場から逃げるため

『ケアマネジャーの資格をとり退職してケアマネとして働こう!!』

という意思が塊ました!

何とか施設長になってから4年間は勤め、不純な理由でありましたがケアマネジャーの資格をとり退職しました。

2人だけの居宅介護支援事業所

ケアマネジャーの資格を取ってすぐに、宅介護支援事業所に就職しました。その時32歳。

その会社はケアマネ事業所の他にデイサービスを3つと訪問介護事業所を運営していました。

居宅介護支援事業所では1人の男性管理者の先輩と私の2人だけの小さな居宅介護支援事業所でした。

この時は、管理者とも関係性が良く楽しく仕事ができました。

しかし、入社して10カ月後、先輩が友達と事業所を立ち上げるということで退職。

それも自分の利用者を勝手に持って行ってしまい、会社と揉めにもめて先輩は去っていきました。

残された私は一人になり、まだケアマネ初心者でも居宅介護支援事業所の管理者となりました。その後は必死で1年間、孤軍奮闘しながらケアマネ業務を行いました。

ケアプランも0人から営業活動をして、35人マックスまで利用者を獲得することができました。

お誘いがあり地域包括支援センターで勤める

孤軍奮闘したおかげか、一緒に仕事をしていた地域包括支援センターからお誘いを受け働くこととなります。その時34歳。

しかし!なんと入社したらすっごく大変でした!!

他の職員から無視されたり

包括支援センターの仕事もわからないのに

重要な会議に出席させられたり

ハードな困難ケースを担当させられたりと、めちゃくちゃ!!

終電で間に合わなくカプセルホテルに泊まったこともありました。

おまけに地域包括支援センター内の従業員同士の仲が悪く、従業員たちの退社退社のオンパレード!!

気が付けば1年半後・・・私が一番長く勤めている従業員となり包括支援センターの管理者となっていました。その時36歳。

介護支援専門員の資格しかもっていなかった当時は周りの事業所に馬鹿にされたりしましたが

その後、主任ケアマネジャーと社会福祉士の資格をとり、今でも管理者として働くことができています。

現在は42歳です。流れ流され現在の職場にたどり着きましたが、今では高齢者の支援にやりがいを感じ、楽しく仕事ができています(笑)

以上になります!読んでいただいてありがとうございました!!

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