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【朗報】子供が長い引きこもりでも「8050問題」にならないこともある

最近、「8050問題」についての本を2冊読みました。『8050問題の深層: 「限界家族」をどう救うか』と『小説8050』です。

2冊とも引きこもっている子供に対しての支援がクローズアップされていました。

地域包括支援センターで働いていると「8050問題」の家庭に遭遇します。私たちは子供の支援よりも親側の支援をメインに進めていきます。

メディアの多くは引きこもっている子供に対しての支援を多く取り上げる中「8050問題」で親側の支援をしている筆者が「8050問題」について個人的な考えを記事にしました。

興味のある方は最後まで読んでね♪

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【朗報】子供が長い引きこもりでも「8050問題」にならない!!

8050問題とは80代の高齢の親が、50代の無職や引きこもり状態の子供と同居し、経済的な困窮や社会的孤立に陥ってしまう問題

「自立型8050問題」があっても良くない?

地域包括支援センターやケアマネジャーが「8050問題」の家庭を支援するなかで最も気をつけるのが高齢者虐待です。

子供が自分のためだけにお金を使って親に一切お金を使わせない経済的虐待や介護放棄のネグレクト、イライラしてしまうことでの身体的虐待や心理的虐待です。

高齢者側の支援者は虐待がなく親と仲良く暮らしていれば引きこもりの子供でも問題ケースとして扱いません。

つまり親と仲良く暮らしている引きこもりは「8050問題」ではないと思っています!!

お金持ちで資産が潤沢にある親の場合は子供が働かないで一生引きこもりでも生活に困ることはありません。親のお金を当てにして生きても、親と仲が良ければ何も無理して働かなくても良いと思います。

例え経済的に困窮していても親の介護をきっかけに生活保護を受けてケアマネジャーと相談しながら親の介護をした引きこもりの息子を実際にみました。

逆に自立した子供が親の面倒を見ないことだってたくさんあります。

それこそ医者の息子が、忙しいという理由で親の介護には無関心。死ぬまで仲が悪いままで、親は一人寂しく自宅で亡くなった人がいました。

私的には子供が引きこもりでも親と仲良く過ごす方が良い家庭に思えてくるのです。

っていうか、「8050問題」という社会問題があるのなら

自立しているけど親の面倒をみない子供の問題「自立型8050問題」もあっても良いと思う。

「自立型8050問題」は子供が介護に非協力的なのでケアマネが警察に保護された認知症のおばあちゃんの迎えに行ったり、引越しを手伝ったり、病院に付き添ったり、入院に付き添ったりする。

仕事をしている50歳代は仕事盛りで社会的にそれなりの地位にいる人が多く、仕事も簡単には休めないこともわかります。

長い年月の中、親との確執があるのかもしれません。でも親に対して無関心で介護に関してノータッチは勘弁してほしいのです。

引きこもりに優しい社会が高齢者虐待を少なくする

「小説8050」は引きこもりの再生物語です。

でも8050になってしまったら手遅れなのでしょうか?

確かに手遅れになってしまう場合もあります。子供は働く意欲も働く場所もない。

親が死んで財産がなければ残された子供は生活保護を受けて暮らしていくしか残されていません。しかし、私は残された子供が生活保護を受けて生活していくことは、なんら問題ではないと思っています。

「8050問題」で高齢者を支援する立場からすると、引きこもりの子供に高齢者の親が虐待されてしまうことが問題なんです。

だから子供が引きこもっても親を虐めたりしなければ別に問題ではないと思っています。

引きこもりは見た目問題といいます。親も当人も世間体を気にします。8050で虐待をしている子供の多くは、自分に対する負い目と親に対する恨みのような発言。仕事をしない自分を正当化するような考えに陥っているように感じます。

引きこもりに優しい社会になれば負い目や親に対しての恨みは減っていき、高齢者虐待は少なくなると思います。

引きこもりに関する爆笑問題の太田さんの話

2019年に川崎通り魔事件と元農水事務次官長男殺害事件が起きて「8050問題」が注目されました。

引きこもり状態であることが直接事件につながるようなイメージが世の中に広がる中、川崎通り魔事件の意見を求められた爆笑問題の太田さんがサンデージャポンで話していたことを最後に紹介します。

一人で死ねって気持ちもわかる。それは要するに甘えるなってことだと思うんだけど、この犯人の場合は要は自分も死ぬわけじゃないですか。

そうすると自分の命も重く見ていない。自分が思っているような自分じゃなかったんだよね。それは、俺って生きててもしょうがないな。だけど最後になんかそういう一つ大きなことをする。

でも自分のこれって誰しもが特定の病気っていうわけじゃなくて、そういう思いに駆られることが誰しもがあって

俺なんて(容疑者と)同じ50代ですけど、やっぱり高校生の時に何にも感動できなくなった時があったんです。モノ食べても味がしない。あれ?「このまま死んでもいいな」っていうぐらいまでいくんだけど

そうなっちゃうと人の命も、自分もそうなら人の命も大切には思えないよね。そん時の俺のきっかけだけど、たまたま美術館に行ってピカソの絵を見た時に、急に感動が戻ってきた。

何見ても感動できなかったけど、ピカソ理解できたって訳じゃないんだけど、そん時の俺には、こんな自由でいいんだ表現って。

そっから色んな事を感動して色んな物を好きになる。好きになるってことは結局それって、それに気づけた自分が好きになるってことで、それっていうのは人でも文学でも映画でも何でもいいんだけど

そういうことに心を動かされた自分って捨てたもんじゃないなって思うと他の生きている生物や人間たち命もやっぱり捨てたもんじゃないなって思えるよ。

テリー伊藤さんから太田さんへ「太田さんは今のね自分一人で見つけたことが出来たんですよね。彼みたいな人はそれはできなかったんですよ。」

それが、だからつまり。俺はそのすぐ近くにいると思うのね。彼のような人が。今、自分って死んでもいいって思っている人はもうちょっと先にそれを見つられる。

すぐ近くにいるってことを知ってほしいっていうか。そのきっかけさえあればって思うんだよね。すごい発見ができる。近くにすごい近くにいると思うんだよね。

2019年06月02日サンデージャポンより

この話は多くの引きこもりの人達を勇気づけてくれたでしょう!!

大田上田でもこの話をしています。

今回は以上でーす。

【神回】太田上田のYouTubeで光代社長の話が面白い

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